Student English Newspaper

The wonders of giving ~ Do you give something to help them? ~


助けることの不思議~人を助けるために与えるものはありますか~

大学生の私たちには、参加できる海外ボランティアプログラムが多くある。望むならば、 “世界の貧困を垣間見る”ためにいつでも海外へ行くことができる。生活に困っている人々が日常生活の中で突き当たる困難を“学んで”いるのだ、と信じながら。しかしながら、職業と して慈善団体を組織することは、積極的に考えられないかもしれない。職業として慈善事業 をしている人に出会うと、なぜ彼らがリスクにも関わらず生活に困難な人を“助け”、なぜ職 業として長く続けていけるのだろう、と疑問に思うかもしれない。 今回のインタビューでは、経済的に困窮している人々を救う二人の方にインタビューを させていただいた。そして、他者を助けるとはどのようなことであるのか、さらに私たちの生きがいとは何かを考えた。

 一人目の方は石井さん。石井さんはボランティアプログラムでフィリピンを訪れ、深刻な 貧困を目の当たりにした。フィリピン政府や NGO、NPO がある程度、貧困問題の解決に 取り組んでいるが、生活の困難な人々が経済的自立を手に入れるまでには時間がかかりそうだ。大学卒業後、一度は日本の NPO 団体に就職し、2018 年にはフィリピンにて Home for Hope(HH)という NPO 団体を立ち上げた。HH は家庭の事情などにより、将来設計を する時間のない若者たちにワークショップや職業訓練を実施している。訓練は就職するための自信を培い、実社会に出たのちも繋がりをもつことのできるコミュニティーづくりを 目的としている。

 二人目の方は山田さん。山田さんもボランティアプログラムを通じてフィリピンを訪れた。大学卒業後、外国人移住者の子供たちの成育環境が十分に整備されていないことに気づいた。保護者が夜勤に明け暮れ、日中に休息をとっているため、子供の世話をすることができないという現状に対し、山田さんは危機感を感じたという。保育園を四年間運営したのち、 現在は YSC グローバルスクールにて外国人の日本語習得を支援している。


-お二人とも起業経験を持っていらっしゃるけれども、なぜ自分の手で始めようと考えられたのか?

石井さん:小さなことでも、存在しなかったものを生み出してゆくことは何かしらの意味がある、と以前から思っている。もちろん、すでに存在する組織に参加し、その一部となることもできるけれども、それはあまり大きな変化を生み出しているとは思わない。というのは、 組織の目指している 10、あくまでその 10 に貢献しているのであって、自分がもし完全に新 しいことを始めれば、それは 10 に全く異なる1を生み出していることになると考えている。

 山田さん:日本における外国人移住者の子供に関する社会的な課題には解決への取り組みが足りていない。就学前の子供に関していえば、子供の文化的なニーズに合わせることのできる多文化保育はかなり普及していない。その状況を踏まえれば、自分でその事業を進めなくてはならないという状況もあった。また、一人のクリスチャンとして、社会のセイフティーネットからこぼれ、教会に来られないような人々に歩み寄ることが義務だと考えている。 その考えを形にしたかった、という部分もある。 

―お二人を今の仕事に駆り立てるもの

石井さん:(支援対象者と面談などを行いつつ、双方向的に支援プログラムを計画している)活動の効果がはっきりと見えることはやりがいをもたらしてくれる。自分が目標としていたことを達成できてうれしい、という純粋な喜びもある。もちろん、何かビジョンのような ものを持っていることはかっこいいと思うし、モチベーションにはなるかもしれない。けれども、それにばかりに固執していては足元をすくわれてしまうと思っている。だからこそ目の前にある課題に全力で取り組むようにしている。

山田さん:(ご自身で立ち上げた保育園について)自分が保育園を始めなければ、そこには 何もなかった。ついさっきまで泣いていた子供たちが新しい友達に出会い、満面の笑みで追 いかけっこしている。それを見ると、やっていてよかったなと思う。大きな組織でもそれができないわけではないけれど、やりがいという意味では、強く実感できたし、これからもできるだろうと思う。だからこそ、その現場を作ることはやめられない。 (カナダ留学で学んだ起業文化も影響しており)一部の人々は社会に大きなインパクトを もたらそうとする。それはもちろん良いことではある。そうだとしても、私たちの社会は個 人の集まりでできているのだから、自分の身の回りに変化を起こせなければ意味がない。 自分が着実に起こした変化を実感できることは、自分にとっても、私とともに活動している 人にとっても幸せなのだと思う。この小さな変化をつなげて拡大してゆくことが、結果的に より良い社会を作ってゆくと思う。私はこういった草の根活動には意義があると信じている。

―お二人が語る人生とキャリアの重なり合い

石井さん:長年フィリピンを訪れ、変わらず濃くなってゆくものがある。それはフィリピン に暮らす生活が困難な人々は精神的には満たされているということだ。彼らは生活が苦しく、ほとんど選択肢がなくとも、何のために生きているのだろうか、などと深く問うことはない。彼らは家族のために生きていることを強く実感している。たとえそれが売れそうなごみを集めて生計を立てることだとしても。そういう生き方をしている人々に出会うと、その生き方もいいのかな、と思えるし、自分がやってきたことも(他者を助けるという)間違ってはいないのかな、と思えたりする。技術的な進歩で人間のやることが少なくなる一方で、寿命は延びてゆく時代に、私たちはどうなるのだろうと思う時がある。私が思うに、将来は、 他者とのつながりが一番大切なことになるだろうし、新しい価値を創造していないような 会社はこの先危ういのだろうと思う。

山田さん:先日、父親と話した。父親はバブル時代を潜り抜け、必死に働いてきた人だ。その世代の人がたくさんの時間とお金を手にした今、“私にとって生きる意味とは何だろう?” “リタイア後、何をしよう?”と自問している。私が思うに、彼らは誰かの役に立つことを求 めているのだろうな、と思う。フィリピンとは異なり、日本ではあまり飢えを目にすることはない。だからこそ、食べてゆくためだけに働くのではなく、人生の意味を見出すためにも働いているのだと思う。


 インタビュー後、人間らしく生きている人の言葉は力強く、私たちは圧倒された。お二人に取り、助けを差し伸べる、弱者に寄り添うことは社会的に意義のあることでも、特別なことでもないのだ。むしろ、お二人にとって他者を助けることとは、幸せを共有し直にそれを 体験することであり、それ自体が生きがいになっているのだ。

それでは他者を助けることの積極的な効果がどのように私たちの住む社会とつながっているのかを考えてみる。数多くの社会問題の中で、その一つに孤独を挙げられるだろう。 SNS を通じて出会ったことのない人とも気軽につながることができる一方で、心から話し合える仲間が少なくなっている。 精神的孤立が高まってゆく現状は、他者とともに生きること、幸せを心から共有するという概念と密接にかかわっているのではなかろうか。その概念は他者を助けることから生まれ、それはインタビューしたお二人にとってもそうであったように、私たちの人生を前進させるものではなかろうか。

しかしながら、実社会では他者を助けることの重要性が過小評価されているように思われる。私たちは身の回りの物や人から受動的に幸福感を得ようとしてはいないだろうか?SNS で多くのいいねを獲得する、もしくは便利なサービスを享受することによって。 そのような社会の中で、他者を助けることは、自分も相手も生きがいやつながりを感じるためのヒントを与えてくれている。

他者を助けるために与えるのではない、本当の生きがいを見つけてゆくのだ。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.