子どもの貧困と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。紛争地域で栄養失調に苦しむ子ども、あるいは弟妹の世話に時間を取られて学校に通えない子どもだろうか。貧困問題を考えるとき、我々はつい遠く離れた国々に目を向けてしまう傾向がある。そこでは「絶対的貧困」という、目に見えやすい形での貧困が生じているからである。しかしこの日本にも、別の形での貧困は根深く存在している。世帯の所得が、その国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない状態を指す「相対的貧困」である。
厚生労働省が2020年に公表した報告書によれば、日本では7人に1人の子どもが相対的貧困の状態にあるという。そういった子どもたちは、経済的な事情のために我々の多くが享受してきたような標準的な生活を送ることが叶わない。そして彼らは学習に必要な物が揃えられなかったり、働いている親の代わりに家事をしなければならず自宅での勉強が困難であったりと、教育の面でも相対的貧困の影響を強く受けているケースが多い。こうして貧困状態の家庭で育った子どもたちは、学習の機会が奪われ成績が低迷し、進学もままならず結果的に不安定な就業を余儀なくされてしまう可能性が高い。それはつまり、子どもの頃に貧困状態にあると、貧困にともなう不利や困難が増幅され、結果として、世代を超えて貧困が固定化されてしまうということだ。
今回お話を伺った東京都調布市の子ども・若者支援事業「ここあ」は、家庭の経済状況が原因で持っている可能性を十分に開花させられない中学生たちに、学習の機会と居場所を提供している。世間的には「連鎖」という言葉で簡単に片付けられてしまう傾向にある、この「貧困の世代間再生産」による理不尽を一緒に乗り越えようと日々活動を続けているのだ。
「ここあ」は、調布市の社会福祉協議会の一事業として5年前にスタートした。名前の由来は「ここから あしたへあるいていく」。調布市以外にも子ども・若者への支援事業を行っている自治体は多数あるが、相談・居場所づくり・学習支援という異なる支援を一手に引き受け包括的な支援を提供しているという点で、「ここあ」は他の自治体の支援事業とは一線を画している。また、NPO法人とは異なり市の事業であることに加え、「ここあ」側に元教師のスタッフがいることなどから、生徒たちの通う公立学校との連携が進んでいることも特徴である。
今回我々が取材したのは、「ここあ」の三つの事業のうち特に学習支援についてである。学習支援では、児童扶養手当や就学援助等を受給している家庭の中学生を対象に、学習コーディネーターと学生ボランティアによる個別指導を通じて、高校進学に向けた学習、また学習習慣獲得のための支援を行っている。
学生ボランティアは主に近隣の大学生が担っており、原則として中学生一人に対して一人以上の学生ボランティアがつくことになっている。個別指導の形にこだわるのは、生徒に「自分の話をしっかり聞いてもらえている」という安心感を与えるためでもあり、生徒が他の生徒との学習進度の比較に苦しむことがないようにするためでもある。身近にロールモデルとなる大人がいない生徒たちにとって学生ボランティアの存在は大きく、彼らと話すうちに「こんな大学生になりたい」という思いを抱く子もいるようだ。自分と歳の近い彼らへの憧れは、学習に向かうきっかけにもなっているのである。
社会福祉法人調布市社会福祉協議会の田村敦史さんは、この学習支援の意義はただ単に勉強を教えることにあるのではないと言う。学力だけではなく、「生きるための力」を身につけることが目標なのだ。
学習支援を利用する生徒たちは、経済的に貧しい状況にあるだけでなく精神的にも困難を抱えている場合がある。例えば、親が家計のために働き詰めでなかなか話を聞いてもらえないことから、「誰かに話を聞いてほしい」という思いを常に抱えている子もいる。そうした生徒にとって、「ここあ」の学習支援は単なる勉強の場に留まらず、一対一で自分の話を丁寧に聞いてもらえる「居場所」ともなるのである。したがって「ここあ」の学習支援では、生徒は無理に毎回勉強しなければならない訳ではなく、学生ボランティアと話をするだけでも良いというスタンスをとっている。会話を重ねて心を開ける相手を見つけることは、居場所の構築には欠かせないからである。
信頼できる大人のいる居場所に身を置くことで徐々に学習に取り組めるようになった生徒は、できなかったことができるようになるという成功体験を得る。これは自己肯定感や自信の獲得に必要不可欠な要素であり、このことが「生きるための力」に繋がっていく。「ここあ」のこの事業は学習支援という名前ではあるが、単なる学力向上に留まらず内面的な成長をも促す場なのである。
私たちは、「ここあ」で学生ボランティアとして活動している3人にもお話を伺った。
一人目のAさんは大学1年生の頃から4年間学生ボランティアとして活動しており、取材日が彼女にとって「ここあ」での最後の活動日だった。彼女は現在中学校の教師として、変わらず子供たちに向き合い続けている。彼女が活動を始めたのは、大学で調布社会福祉協議会の方による「ここあ」の活動についての講演を聞いたことがきっかけだった。なんだかキラキラしていると感じた上、教師を目指していたこともあり、自分もやってみたいとボランティアに参加した。「ここあ」で活動し始め、様々な形の貧困を目の当たりにしたという。これまで特段の不自由なく生活してきたAさんは「当たり前が当たり前じゃない」ことに気づかされた。
最後の活動日ということで設けられた挨拶の場で彼女は、「自分の『知識』が『やさしさ』になると感じられるようになった」と語っていた。彼女のいう「知識」とは単なる教養という意味ではなく、色々な人を知っている、人の弱さが分かるという意味だそうだ。たとえば、生徒にかけるささいな言葉が図らずも生徒を傷つけてしまうことがある。事情があって学校に通っていない子に「宿題は?」と尋ねると口籠ってしまうだろう。経済的な事情を抱えている子に「休み中どこに行った?」と尋ねると、自分の置かれた立場を改めて考えてしまうかもしれない。両親が別居している子に「これ、お母さんに渡しておいてね」と声をかけても、お母さんとは一緒に住んでいないかもしれないのだ。これらの言葉は誰しも学校などで先生や友達に言われたことがあるフレーズだろう。そしてAさんのように特段の不自由なく生きてきた人は、特に不快に感じたことはないのではないのだろうか。むしろ、積極的にコミュニケーションをとるための常套句かもしれない。しかし、「ここあ」に集まる子たちはそうでない場合も多い。公立の学校でもそういう子がいるかもしれない。Aさんは、公立の中学校で教師として働く前に「知らないとできない配慮」を知ることができて良かったと振り返る。
続いてお話を伺ったBさんも、きっかけは大学で「ここあ」の学生ボランティア募集を知ったことだった。もともと通信教育事業を手掛ける大手日本企業でアルバイトをしていたが、中学生の頃家庭の経済的な事情により当時授業料が全額免除されていた都立高校しか受験の選択肢がなかった彼女は、1コマ5,000円もする授業にどこか違和感を覚えた。自分と同じように、学習塾に通うお金がなく、授業料は安いが学力レベルの高い都立高校しか受験できないような子に勉強を教えてあげたいと思ったのだそうだ。学習塾にはない人とのふれあいを大切にしながら教えることを意識しており、高校受験が終わってからもかつての教え子が訪ねてきてくれる時は嬉しいと語っていた。
三人目のCさんは、ボランティア活動がしたいと思い大学2年生のときにネットで募集を探していると、偶然「ここあ」が目にとまった。大学も近く通いやすかったので参加したという。Cさんもやはり学習塾との差別化は意識しているようだ。たとえば、定期的に行っている英単語のテストの形式には工夫があり、声に出して覚える子には単語帳を使ったテスト、書いて覚える子には一問一答形式のテストを作っている。マンツーマンで教えるからこそできる工夫だ。また、基本的に宿題は課さないのだそうだ。テストで間違えた問題は復習するように言うが、あくまでも学ぶ楽しさを知ってもらう場である。勉強をさせるのではなくやる気を出させるのが使命だと話してくれた。
人とのふれあいを大切にする「ここあ」にも、容赦なく新型コロナウイルス流行は襲い掛かった。2020年4月に発令された緊急事態宣言下では「ここあ」は一時休業していた。授業のオンライン化が叫ばれているが、「ここあ」では経済的に困窮した家庭の子どもも通っている上、人の温かみを大切にしているのでオンラインツールは利用しなかった。宣言解除後は最大限の感染予防対策を講じて活動を再開。机の数を減らしてソーシャルディスタンスを確保し、受験を控えた中学3年生は別室での学習となった。
また、以前は机におかしを広げてみんなでわいわい話しながら休憩する時間があったそうだが、新型コロナウイルスの流行以降は叶わなかった。学習指導は生徒一人と担当の学生ボランティア一人で完結するマンツーマンレッスンだ。休憩時間は単なる休憩時間ではなく、学生ボランティアにとっては担当していない子との交流、生徒にとっては生徒同士のじゃれあいが生まれる時間だった。学生ボランティアの皆さんは、交流の機会が減ってさみしいと口をそろえていた。
見学後、調布市社会福祉協議会の田村さんは、「ここで学習支援を受けた子たちが大学生になってボランティアとして戻ってきてくれるのが理想」と語っていた。初めにも触れたが、貧困に関して「世代間再生産」という言葉がある。親が貧困なら子どもも貧困。悲しいことに「ここあ」などの若者支援施設にはそういった子どもが数多く通っている。しかし、「ここあ」で救われた子は人の弱さ、人の温かみを知っている。きっと今度は救う側になれるはずだ。
今回お話を伺ったスタッフの皆さんは、柔らかな語り口ながらも私たちに真剣なまなざしを向けて想いを語ってくれた。子どもの貧困という問題の当事者である子どもたちに対して、自分には何ができるのか。この問いに向き合い続ける「ここあ」の皆さんの真摯な姿勢に心を打たれた。
執筆:佐藤綾香 曽根瞳子
英語編集:マーロー瑳良