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Caricatures; what it tells us?

諷刺画;何を伝えているだろうか?

最近のヒット映画に『パラサイト』がある。広がり続ける格差を諷刺した作品だ。歴史を振り返れば、いつの時代にも社会に鋭いまなざしを向け、多様な方法で問題定義をする存在があった。今回は風刺の源流をたどるべく町田市立国際版画美術館を訪れた。

町田市立国際版画美術館は国内でも唯一の、日本及び西洋の版画を中心とした美術館であり、18~19 世紀の西洋版画も収蔵されている。同美術館は過去に西洋風刺画の展覧会を開催しており、質の高い美術を楽しむことのできる場となっている。 

Machida City Museum of Graphic Arts

学芸員の方が七月王政時のフランスを風刺した版画を見せてくださった。風刺画は何を伝えているのだろうか。

1830 年、政府の抑圧的な政策により七月革命がおこり、ブルボン復古王政が幕を閉じた。これによりルイ=フィリップが権力の座に就き、七月王政が始まった。王座に就く以前、王は言論弾圧を加えないことを約束していた。しかしながら実際に王として即位したのちは、言論の自由は徐々に狭まってゆくばかりであった。

共和主義を推進していた週刊諷刺新聞『ラ・カリカチュール』は、王の裏切りを皮肉る数多くの諷刺画を生み出した。画の中では、悪魔に扮して描かれた内務大臣が墓から大きなはさみを抱えて出てくる様子が描かれている。はさみは当時、検閲の象徴であった。墓の周囲では、権力者の横暴に気づいていない新聞社が眠りこける様子も描かれている。 

この作品は数ある諷刺画の一部である。シャルル・フィリポンが指揮を執る『ラ・カリカチュール』は言論の自由を確保するべく奔走し、多くの諷刺画を紙面に掲載した。多くの場合、諷刺画では各人物の特徴が誇張され、その特徴により人物が特定できるようになっている。他の場合では、風刺画を面白おかしく伝え、内容理解の助けとなるような短文が画の周囲に書き添えられていることもある。

こうした週刊新聞は共和主義を支持する者が講読したことは確かであろう。彼らの他にも、当時識字率が低かったことを鑑みれば、諷刺画を絵として面白がった者や、字を読むことができる者に内容を教えてもらった者もいたかもしれない。 

残念なことに、『ラ・カリカチュール』の必死の戦いも 1835 年9月に一度その戦いを終える。時の権力者が図像に主眼を置いた検閲を発表したのだ。皮肉なことにその条例は『ラ・カリカチュール』の最終巻に掲載され、ナシ型に条文が刻まれた。ナシ型は当時の王を暗示していたのだ。

条例が図像を検閲の標的としたこと自体が、権力者がその社会に与える影響の重大さを認知していたということかもしれない。当時の権力者はメダルなどで度々王を立派に描いてきたが、諷刺が出回ってはその印象が台無しになると。図像には訴えかける力が強いと認識されていたのだ。 

学芸員の方は、諷刺画をその背景も踏まえて鑑賞することの興味深さを語り、そこには名画を鑑賞するのとは一味違った価値があるという。また風刺画の鑑賞を通じ、些細でも自分の観点で気にとまったことを個々の関心に引き入れてくれれば、と語る。そのような鑑賞は現在の問題を考える手掛かりとなるであろう。 

学芸員の方がお話しになった通り、諷刺画に語られた社会情勢や主題は、身の回りに起きている問題に共通する部分があるかもしれない。それは風刺画の持つ社会性が生きているあかしであろう。

 現代社会に生きる私たちには、果たして風刺の精神は生きているだろうか? 民衆が十分な関心を向けなければならない課題が山積している。度重なる汚職や知る権利を脅かす規律。

その一方で私たちは、個人の趣向に沿うよう最適化されたニュースを目にすることが増え、フィルターバブルが生じやすくなっている。私たちの視野は徐々に狭まる傾向にある。 

諷刺画は社会の主体的な構成員として、今日の世界に鋭い目を向け、幅広い視野を持つ大切さを垣間見せてくれたのかもしれない。 

執筆: 大塚 愛恵 佐伯 裕一郎 島田 陸 土屋 冠侍

英語編集: 後藤 玲依

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